映画「Equals」:近未来、愛は人類の敵となるのか!?

〔完全平等な世界にはヒトの喜びも存在せず・・・〕

世の中の賢い人達の一部は、経済的な格差の拡大がとっても悪いことなんだって言ってるようです。まぁ、僕みたいに単純なもんから見ると、格差なんて大昔からあったのになぁ、とか思ったりします。

でも、この問題についても、経済学とか社会学の難しい理論があるんでしょうね。

平等性が全てに優先する是だとしたら、この映画「Equals」は、一つの理想郷を描いているのかもしれませんね。これでは、世界を巻き込む大戦争によって人口の殆どが失われた後の、「コレクティヴ」って呼ばれる社会が映し出されているそうです。

人々は皆、おなじ真っ白の服を着用し、同じ真っ白の部屋とオフィスで生活するのがこの世界。

そんな社会で、過去の世界についての情報をまとめ記録する仕事についているのが、サイラス(ニコラス・ホルト)さん。彼の部署には他にも男女が働いいて、その中にニア(クリステン・スチュワート)っていう名の綺麗なお姉さんもいます。

んで、この二人。折角だからデートすれば良いのにね、なんて思うのは平和ボケした現代人の考えです。「コレクティヴ」では、男女どころか人と人の触れ合いも悪とみなされていて、人が感情を持ったり表したりすることもダメ、もちろんデートやセックスなんてご法度なんです。

さて、そんな環境でまじめに働くサイラスさん、ある日のこと、自分が感情的に不安定になっている感覚に気づきます。大変です。これは、「S.O.S.(スイッチド・オン・シンドローム)」って呼ばれる病気の症状だからです。

あまり進行すると、患者は特別な施設に収容されて処分される。それくらいこの病は恐ろしいんです。そして、自分が発症したことをニアに打ち明けたサイラスさんは、じつは彼女も病気のキャリアだということを知らされます。

今まで抑えつけてきた自分の人間性や情熱、その圧力に抗しがたくなってきたサイラスとニア。二人の間には、当然のように恋愛感情が芽生えて、触れ合いたいという情熱はどんどん温度を上げて行き、ついには結ばれてしまいます。

それは、この世界では大罪に値する愚行、そんな一線を超えてしまった二人の運命やいかに・・・

〔ただ白く、温度のない世界〕

多くの人が、今の世を憂いて直ちに改善すべきだと言います。でも、ここを完璧なユートピアにするためのアイディアや方法なんて、誰の頭の中にも無いんです。

経済理論を基に、世の中はこうあるべきだって主張することもできますが、それも結局、限られた主観に立脚した正解でしかありません。結局、単一的な答えなんて存在しないんですね。

まぁ、正解が存在しないのは、クリエイティブな作業にも言える事でしょう、たとえば映画作りなんかもそうですし、だから大概、既存のテンプレートに肉付けしてストーリーが作られることになります。

「この映画‛Equals’は、生き残った人類が厳しく管理された社会に生きる、破滅後の未来を舞台にしている。平坦で抑えた声で会話し感情に動かされる事もない、そんな人々の着る白いユニフォームは、ロボットのように抑え込まれた彼らの感情的生活を映し出すのみならず、文字通りそれを明示していると言えよう。(Los Angeles Times)」

ジョージ・オーウェル的な世界観の作品がこれ、ということですが、

「この刺激のない世界に生活する人々は、当然のことながら皆ちょっと退屈して見えるのだが、それは、従来のScifi映画の新たな焼き直しである本作に、ちょっと引くほどに見覚えが有るという事実とも関係ありそうだ。ネーサン・パーカーによるこの脚本は、無遠慮にも説明的であるのと、重苦しくシンボリックであるその中間で語りかけてくるものだ。(Los Angeles Times)」

、という評価にもつながっちゃいます。辛辣な批評は別にもあって、

「クリステン・スチュワートとニコラス・ホルトが、イマジネーション不足障害でも患ったかのScifi子守歌である、この映画‛Equals’では恋人役を演じる。ドライク・ドレーマスが監督を務め、殆どの部分を日本で撮影したという本作は、世界的な被害者を出した戦争の後の世界を、紙っぺらなみの厚さしかない寓話をして映し出す。(The New York Times)」

、とのことです。

いと言え、温かみのある言葉もなくはなくて、

「同じ週末に、ウディ・アレンの‛Café Society’も公開されるということで、この映画だけが、自身の能力を証明する演技を見せているクリステン・スチュワートにお目にかかる、唯一のチャンスと言う事でもないだろう。‛トワイライト’から解放されてこのかた、彼女は、完全に有り得なそうな筋書きを、不思議と現実味が感じられるように見せる仕事を見事に貫いている。(Los Angeles Times)」

、と、例のティーン向け吸血映画で一世を風靡したヒロインの、役者としての成長には一定の評価があります。

現代の日本でなら、空気を読まずに波風を立てる事は、原理的というより世俗的な意味で罪だとされています。でもさすがに、この映画なみにコントロールされたら嫌ですよねぇ、、、

「それは、最も顕著なレベルの上でなら、とても厳しく服従を要求する現代の企業社会へ向けた風刺ともとれる。とは言うもののそれは不明瞭であり、お約束事項に乗っかり過ぎてもいて、観客があらすじを見抜いたあとにはサスペンスや驚きが欠如してしまうというものになっている。(The New York Times)」

まぁ、風刺・批判を娯楽を抱き合わせるのも大変な作業です。当初のクールさが、最後の段になって爆発やレーザービームとかの派手なアクションになったりすると、これまたダメ映画のレッテルを食らっちゃったりします。

そして最後に、

「この映画は、主役の2人が欲望を受け入れ、情熱に屈服する様子を描く事に大いに頼っているのだが、その関係性も上手く映し出されはしない。ここでのキスは芸術として描かれ過ぎていて、何の熱も感じさせないのだ。本作は、そのシルバーグレイの冷たい映像へ、バラ色の光彩を加える事によって温度感を与えようと苦労しているようだ。だが、その色彩も、空虚感を引き立てる役目しかしていないだろう。(The New York Times)」

という事です。

どっちにしても、完全に平等で失敗もないけど成功もなく、与えられた仕事しかできない世の中だったら、この映画だってどんなドラマだって生まれない訳です。そして人間てのは、何かを表現したら、必ずだれかには嫌われるんですよね。

それでいいのだ、という事でしょう。それではまたっ^^/

参照元
Los Angeles Times
The New York Times

ズレ太

Author: ズレ太

いろんな事がズレまくってるズレ太です。 でも、意外とまじめですよっ! (記事の中で引用している映画批評は、米国の電子版メディアから抽出しての大意翻訳です。)

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