映画「The Family Fang」の前評判

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〔子育てもビジネス(芸術表現)になりうる!?〕

平凡な社会で凡人の家庭に生まれた凡人としては、特別な親御さんのもとで育った子が羨ましく思える事もありますよね。

有名人の2世なら、とりあえず(その家庭なりに)普通にしていれば、そこそこの年齢になると局とか事務所とかからオファーがきて、周囲がひととりのおぜん立てと準備をしてくれ、芸能界デビューはいきなり映画の主演に大抜擢、、、。

まぁ、そういう意味では苦労知らずという事になるのでしょうけど、言い方を買えると自分の意思や選択はどこにあるの?、ということにもなります。

この映画「The Family Fang」の中の子供達、アニー(ニコール・キッドマン)とバクスター(ジェイソン・ベイトマン)も、特殊な両親の下に育った兄妹です。二人の父親ケイレブ(クリストファー・ウォーケン)と母親カミール(マリアン・プランケット)は、公共の場でパフォーマンス・アートを行う事で有名なアーティスト。

子どものころから、この夫妻は自分らの子供達を、アート作品の一部分として利用していました。アニーとバクスターも、小さい頃はそれを楽しんでいたかもしれません。しかし、もう良い年齢の大人になった今、2人の子どもは自分の人生の迷路にはまっているようです。

アニーは女優。かつては人気が上がり仕事も上手くいっていたのですが、ここの所鳴かず飛ばず。バクスターは小説家で、一作目がヒット作となったものの、その次の作品を出すのに苦しんでいて、そんな状態がもう数年間も続いています。

彼らは、崇高なアートの中で光っていた、あの2人の子供じゃぁないんです、今となっては。どうして?、ひょっとしたら、アーティストの一家に生まれると言う事は、子供らの人生を難しい形に歪ませてしまうのかもしれません。

と言う訳で、現在の親子は疎遠となっています。そんな時、事件が起きました。ケイレブの自動車が無人で発見されたんです。人間のものと思える血のりがべっとりと付いた状態で、、、。

〔奇抜な一家の現実を描くという事〕

まぁ、僕ズレ太みたく、個性といったら「ダメな所」くらいしか無いとなれば、逆に生きて行くのが楽という話もあります。要は現状を受け入れる事です。

世界には、僕みたいなのも居れば、特別に選ばれた人々も居るという事ですが、むしろ僕ら小市民には、そういった特別な家庭事情を、好奇心の目で外側から見る特権が与えられたとも言えるでしょう。

そんな、特別な一家の内部を暴くこの映画ですが、

「特別な子供を描くストーリーというのは、特にアメリカにおけるインディーズ映画の世界では、留まる事なく送り付けられるギフトの様なものだろう。それらは、モンスターのような母親と、虐待的な父親に子供が苦しめられるという話だ。そして、ケヴィン・ウィルソンの小説を原作とした、この映画「The Family Fang」は、また違うタイプではあるが不幸な一家を描く話である。(The New York Times)」

、とか、あるいは、

「子供らを煙に巻く手立ては100万通り程もあるだろう、そしてこの映画「The Family Fang」は新たな手法を示してくれた:パフォーマンス・アートである。ここでの、ファング夫妻が見せるエキセントリックな悪ふざけは、傷ついた児童心理と彼らが親の承認を得るために歩む道の長さを描くという、紋切り型のファミリードラマの中に、新鮮かつ面白いツイストを与えるに十分となっている。(Washington Post)」

、との評価。

たぶん、凡人は平凡の中に埋もれてしまうのが嫌だと苦しみ、有名人は、平和で静かな普通の生活がしたいと苦しむものなんでしょうね。

外から見ると、かなり捻じれた家庭環境を、ひょっとしたら批判眼を通して描こうというの、この作品だと思いますが、

「しかし、前に出すぎない(他の役者から跳ね返る演技をする)ジェイソン・ベイトマンと、映画産業そのものの様な(役が無い時でもなにかしていそう)ニコール・キッドマンの2人は、冒頭のシーンでは、今出合ったばかりの他人同士に見えてしまう。例えそこに奇妙さが見えても、味わいのないこのキャラクター達が、地球外からやって来た様なクリストファー・ウォーケンから生まれるという事は、やはり真実味にかけるのだ。(The New York Times)」

、とか、

「ジェイソン・ベイトマンは、この役者陣が使う控えめな言葉つかいを要領よく抽出してみせ、彼らが演じるキャラクターの持つ奇抜さに、演技をする対象を与えるという、効果的な演出を行っているだろう。(Washington Post)」

、などとも評されています。また、

「ベイトマンによる演出は、ここに見られる幾つかのトリッキーなシーンにおいて、特に繊細でもある。そこでは、このストーリーの中で食い違いを起こしてゆく感情の表面を、デリケートに描いてみせてもいるだろう。(The New York Times)」

、そして、次のようにも。

「殆どの画面が、湿った天候の下に映し出されていて、結果的にはその重々しさは活力を失っていると言っても過言ではないかもしれない。しかし、観客達に答えをもとめ想像させるよう促すフィナーレにかけては、そのエネルギーが急激に高まって行くのだ。(Washington Post)」

現代人にとっては、自分自身をちゃんと評価できて、その結果に納得する事が一番大事だと思うんです。納得は妥協の産物ではあるけれど、わだかまりを内包したまま生き続けるほうが、余計に現実的な問題を生み出したりしますからね。

んで、自分の事が納得できる様になるために、ともすると何十年もかかってしまうのは、どの世界に生きていても一緒なんでしょう。

有名だろうと無名だろうと、ヒトは、生きる難しさからは逃れることができないんですよ。たぶん・・・。

参照元
The New York Times
Washington Post

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ズレ太

Author: ズレ太

いろんな事がズレまくってるズレ太です。 でも、意外とまじめですよっ! (記事の中で引用している映画批評は、米国の電子版メディアから抽出しての大意翻訳です。)

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