映画「エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に(Everybody Wants Some!!)」の前評判

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〔無限のチャンスが与えられた時代の・・・〕

考え方や物の見方も十人十色といいます。そして、青春時代の持っていた意味も、人によって千差万別なんだと思います。

場合によると勉強ばかりしていた、という方も居るでしょうし、学生時代=恋愛と思う人も居ると思います。スポーツに賭けていた人も居れば、中学校の頃からアイドルやっていたので業界内で青春を過ごした、という人ももちろん居るはず。

まぁ、僕ズレ太みたく、誰からも愛されず必要ともされない暗く湿ってカビ臭い青春を過ごした人も、これまた少なくなかろうと思うんです。そして一方、ここでご紹介する映画「エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に(Everybody Wants Some!!)」の主人公さんみたく、ハイスクール卒業と同時に酒ざんまい可愛い娘を追いかけまわしまくり、てなる人もいます。

その青年の名前はジェイク(ブレイク・ジェンナー)。時は1980年。彼はテキサスにあるカレッジで野球をするために、いまこの学生寮へやって来ました。彼を迎えたのは同じチームに所属する面々。デール(J.クイントン・ジョンソン)、マクレイノルズ(タイラー・ホークリン)、フィネガン(グレン・パウエル)、ジェイ(ジャストン・ストリート)など。

今日は金曜日。週が明ければ、練習と勉強の忙しい日々が幕を開ける、、、、はず。ですが、どうもこの学校の先輩方からは、厳しく律した生活感が感じられない気もします。もちろん彼らのコーチからは、生活態度に関する徹底した指導が言い渡されたんですけどねぇ。

なにはともあれ、授業が始まるまで3日も有る、と言う訳で、さっそく彼ら野球選手も活動を開始します。まず始めたのは音楽を流したりピンポンしたり。あるいは、全員で車に乗っかってキャンパス周辺の女の子に声をかけまくったり、声をかけられたりしてりします。

夜はと言えば、当然の事ながらバーに繰り出しパーティーに顔を出し、ビールを飲み干しマリワナを吸った上、プールに飛び込んだりしてのどんちゃん騒ぎ。

まぁそれでも、月曜の朝にはちゃんと起きて、クラスに顔を出せれば全てOK、なんでしょうけどねぇ。・・・OKですかね?。

〔‘70sと‘80sがズルすぎっス〕

先行きの景気なんて絶対良くならないよ、と全てのメディアや教育機関が吹聴する今の日本では、ビールの売り上げが下がり続けても仕方のない事です。とは言え、パーリーピーポーは滅亡するどころか増えている気もしなくないんですよね。だから今も昔も、どんちゃん騒ぎ出来る人は出来るし懐が寂しい人は出来ないという、ただそれだけの事なんでしょう。

こう言う映画やドラマの中では、仕事をする時間よりビール飲んだり恋愛してる方が長かったりして、ただただ羨ましい限りですが、

「この映画“Everybody Wants Some!!”は、その精神性においては1993年の作品“バッド・チューニング”の続編にあたる、と位置付けられているようだが、この控えめでありながらひそやかに引き付ける、グループものコメディの一作が進展する中では、むしろ同じリチャード・リンクレイター監督が、それによってオスカーを射止める寸前までいった、“6才のボクが、大人になるまで。”に通じるものを感じさせるだろう。その本作は、“アニマル・ハウス”に始まり“ネイバーズ”に至る、ほかの大学生セックス&ドラッグものコメディと、明確に同じとわかる要素を共有してはいる。しかし、ここでのリンクレイター監督は、その要素に強すぎる感受性と興味を示しつつ、トロンとした目つきの飲べえ達をこれら作品群の中に新たに追加することも、映画製作者の立場としての自身に許したのだ。(Washington Post)」

、まぁ、あらたな領域を探るというより、楽しいだけの話をまた一つ追加、って事なのでしょうかね。他の所では、

「サウンドトラックと共に、人物たちの顔にかかる髪の毛や自動車と衣装など、その時代に思い出がある者にとっては、不思議なくらい、そして痛い程リアルに、1980年を想起させることだろう。そんな映画“Everybody Wants Some!!”は、甘くふしだらな記憶がもたらすムードの中で展開してゆく。もし、あなたが30代であるなら、ハイスクールでさえさほど遠い記憶ではないだろうが、もし50代であるとすれば、カレッジでさえ神話の中と同じくらいに距離感を感じる場所なはずである。だからこの映画もまた、単純なノスタルジーでも終わらない、それは実にユートピア的であり、彼らのホルモンがあげる歌声が子供向け本のもつ無垢さを響かせる、そんな印象である。(The New York Times)」

、と、一応明るい感じの評論になってはいるみたいです。

とにかく、梅雨もなけりゃ冬すらない、つねに太陽とカラッとした空気に包まれて生活したら、先の不安なんて人間は考えもしなくなるんですよ、たぶん。

んで、そこにはどんな文化が育つんでしょうか、、、

「本作“Everybody Wants Some!!”がディープである、というのは行き過ぎの感があるし、その中のエピソード群も特に野心的な仕立てになってもいない。しかし、特にそう言ったシンプルさを通す事でこの監督は、青年のもつ不安定さ、儀式めいた交友関係と理由なき攻撃、そして新たなアイデンティティの周りに渦巻く不安と希望などの中から、やわらかいヒューマニティを映し出す瞬間を見つけ出したのだ。(Washington Post)」

、ふむ、

「リンクレイター監督は、お説教ぶろうとしたことも一度もないだろう。反面、この作品からは謙虚さを完全に排除してしまってもいる。そこには政治的公平性もなければ、(時代を映すために)キャンパスのダイニングホール横におかれた選挙人登録所以上の、政治そのものも存在しない。この映画では、人種や格差の問題にわずかながらかすって見せたりもするが、最終的にはそのキャラクター達が、好みや気質、そして態度などを理由に、いかに分離されるのかに目を向けてゆくのだ。(The New York Times)」

いろんな意味の付け方が有ると思うんですけど、やっぱりパーティー映画っていうのは、大人の観客層が自分の若い頃を懐かしむための映画だろうと思います。まぁ、騒ぎまくった頃が良い想いでであれば、ですけど。

「しかし、“バッド・チューニング”が見せた格別なるきらめきが、ここに再びみられるのかと予想する向きは、その考えをひっこめたほうが良いだろう。この映画の方は、前出の作品に有った不思議なほど時と場所がぴったりするという感覚を、共有してはいないのだ。ここに描かれる過去は、むしろ着ふるされ使いふるされという印象を与える。とは言えその事実も、作品が抱く詩的で穏やかに感覚を引き起こすような楽しみを、奪う結果になっている訳でもない。(Washington Post)」

そして最後に、

「結局、この中に描かれる性的興奮の共和国民たちは、再びともに夜の街へくりだす。彼らが行く場所では必ずお愉しみが待っている。そして、その中に取り込まれれば楽しみを忘れることすら不可能である。あなたは、この作品(の善悪)を判定したり(逆に)嫉妬する事を試みることも可能だ。しかしやはり、ビールは潤沢に飲み干されるし、そこにある友情の強さは抗しがたいのである。(The New York Times)」

、という事です。

人生とか世の中についての先行き不安が少ない時、人はより多くのビールを飲み干すんですよね。あるいは、新車ももっと売れるのかもしれませんし、結婚出産率も上がるのです。

そして、その希望こそ、僕達現代日本人がもっとも必要としていながら、なかなか手に入らないというしろものです。そんな時は、アメリカ人が作るパーティー映画でも見て、少しだけお気楽になれたら良いのかも、と思います。

気分転換して考え方が変われば、さっきまで悩んでいた事の解決策もひょこっと現れたりしますよ、きっと。

ではまたっ!。

参照元
Washington Post
The New York Times

ズレ太

Author: ズレ太

いろんな事がズレまくってるズレ太です。 でも、意外とまじめですよっ! (記事の中で引用している映画批評は、米国の電子版メディアから抽出しての大意翻訳です。)

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