映画「10 クローバーフィールド・レーン(10 Cloverfield Lane)」の前評判

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〔開けられない扉の向こうに広がる恐怖の世界〕

The photo is provided by Gage Skidmore(表示 – 継承 2.0 一般)

僕スレ太は、いろんな意味でズレているために、方々でやっちまった社会的な失敗がトラウマになり、内面的には、今、小さい穴のなかに引きこもっているのと、大差ない状態なんです。

対人恐怖みたいのはないんですけど、でも、もうちょっと勇気があれば、今よりずーっと広い社会と関わって、もちょっとは美味しい目に遭えるんだろうなぁ、とか、思うんですよね。でも、ポンコツですからどうしようもありません。

人は、知らないうちに、心とか行動に不要な制限をかけているものです。たとえば、この映画「10 クローバーフィールド・レーン(10 Cloverfield Lane)」の中心人物である、ハワードさん(ジョン・グッドマン)もそうです。あっ、でも、彼の場合は、今生活している地下のサバイバルシェルターから、上に出れない理由があるから、そこに閉じこもって居るだけなんですけどね。

彼と一緒に、この窮屈な空間で生活しているのは、エメット(ジョン・ギャラガー・Jr)という青年と、ミシェル(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)という名の可愛い娘さん。ちなみにミシェルは、交通事故に遭ったところをハワードさんが助け出し、この避難所へと連れてきたそうです。

ここには、十分な物資のストックと電力もあり、とりあえず生きてゆくことには困ら無さそう。ハワードさんが、あの階段を上がっていった先の2重の扉を絶対に開けさせてくれない事をのぞけば、ここでの生活はさほど大変ではありません。

でも、どうしてここに留まらなければいけないのか、その理由をはっきり知らないミシェルには、やはりだんだんと不安感がつのるのも、無理のない事です。そうしているうちに、ハワードさんが、精神のバランスを崩した怖い人物にさえ、見えてくる始末。

だから、彼女は決心しました。彼を振り払ってでも、あの扉へ辿り着き、開け放ってしまおうと。でも彼女はすぐに気付きます、やっぱりそれは不可能な事だったと言う事実に・・・。

〔CGで想像した大型作品から一転、ミステリアスなドラマが展開する〕

やっぱり、この世界じゃあ想定外の事件や事故が起こりますし、それらが最悪のパターンで連鎖すると、普通なら起こってはいけない災厄に発展したりもします。

それで、そう言った異常な環境の下に置かれたとき、良くも悪くも本性が表れてしまうのがヒトという動物ですよね。そんな異常事態が、このストーリーの中で描かれます。

「J.J.エイブラムスが説明している通りに、この映画”10 Cloverfield Lane”が、あの“クローバーフィールド/HAKAISHA”と血縁関係にある一本だとしても、こちらは、あのファウンドフッテージ系モンスター映画から、さらに大人びた一作に成長させたものである。(Washington Post)」

何キロも遠くから、自由の女神の頭だけが飛んできて庭先にどーんと落ちる、という、半分ジョークみたいな派手さから一転し、直近の身の安全だけは確保した3人(内ひとりは綺麗なお姉さん^^)という、これまた相当制限した道具立ての下で、彼らの関係性が生む緊張とスリルを演出してゆくというのが、この「10 Cloverfield Lane」になる訳です。

「ほんの数か月前には、ほぼ誰も、この映画”10 Cloverfield Lane”の名前など聞いたことすらなかっただろう。制作とキャンペーンに何年もかける時代において、一つの映画が、とりわけ大物プロデューサーであるJ.J.エイブラムスの手によって、突然存在を現すと言うのも驚きではある。そして、この新作映画は、その語り口、もしくはスタイルが抱くスピリットにおいて、2008年の“クローバーフィールド/HAKAISHA”と、緩い関連性を持たされたものでもある。ただ、通常の続編という形を取らない事で、本作は、オリジナルにあった疑似ドキュメンタリーの混乱や熱狂を、より落ち着いた、サスペンススリラーの強制的な緊張感が持つ、見栄えや感覚へと変換してみせているのだ。(Los Angeles Times)」

敵が、尋常じゃない相手だったら、とりあえず無理な戦いはせずに、どっかへ引きこもって時期を待つのが一番です。僕ズレ太は、幼少の頃から押入れとかに潜り込むのが大好きだったので、ひょっとして、クローバーフィールドの怪獣が襲ってきても、生き残る事だけは出来るかもしれません。

さて、この様なシナリオの映画であると、先ずは演じる俳優達の上に、責任の殆どが乗っかる訳ですが、

「メアリー・エリザベス・ウィンステッドは、“Smashed”や“Faults”などで見せたダイナミックなドラマ性を本作でも上手く統合しながら、“ダイ・ハード/ラスト・デイ”や“遊星からの物体X”で演じた様に一般的なアクション性、および、ホラー性をも加えて見せる。一方、ここえのジョン・ギャラガー・Jrの存在は、大いに報われないものであり、その役割もかなり見えにくくなっていて、その事が、ジョン・グッドマンが持つべき謎から、若干、意味を削ぐ結果につながっているだろう。そのグッドマンは、穏やかにして無害だが陰謀論に捕らわれた人物と、異常をきたした人間の怖さの間を行き来しつつ、時に曖昧に、ときにそうでない巧みな表現力を用いて、この役を確立させているだろう。(Los Angeles Times)」

、とか、あるいは、

「喜ばしい事に、ここでの3人の役者達は、時に心に触れる様子から、笑わせる様なものまでに及ぶ、広い範囲での真実味の有るニュアンスを、一流の演技力によって描写してくれる。そして、これが監督処女作である、ダン・トラクテンバーグによる演出は、心臓の強くない人間にとって良くないレベルにも到達する、そんな風な閉所の恐怖とサスペンスのストレスを、適格に表してもいる。この脚本が、空気中の毒を除外するシステムを、何かのほのめかしとして用いる部分などは、ばかばかしいとは言え、他のSciFi作品に比べて飛躍しているとも言えない。同時に、この映画の殆どの部分は、より気持ちを引き寄せるものである。それはつまり、描かれる状況が非常識なものであっても、登場人物達の方は実にリアルだからだ。(Washington Post)」

、との評価が有って、意外と楽しめるスリラーらしいです。そして、あの頭グラグラもありません。

「クローバーフィールド」の、あの超タフな怪獣は、どこから出てきたのか今でも気になるところですが、どうやら八年越しで制作されたこの映画でも、それを説明する続編とか、そういう位置づけではないのだそうです。

「この映画”10 Cloverfield Lane”は、本当のダメージというのは、外部からの侵略によってではなく、我々自身によって成されるかもしれない、と問うものだ。そして、それは、鋭くエキサイティングな作品ではあるが、同時に、より本質的な疑問点を、ドアの外側へ押しやってしまった結果に、甘んじているとも言えるだろう。(Los Angeles Times)」

制作段階で、何を描写し、あえて何を見せず語らないようにするか、というのは、結構センスが問われる選択であるでしょう。そして、全部見せちゃう映画というのも、あんまり面白くなかったりするんですよ。

「“クローバーフィールド/HAKAISHA”も、本作”10 Cloverfield Lane”も、カムコーダーか、もしくは地下壕の汚れたガラス窓を通して限られた世界を見る、という共通点を持つ。そして、外の広い世界では何が起きているのか?、という作品終了後も残る疑問点への関心は、少なくともこの2作目においては、ヒトがお互いをどう扱うかという問題点より、薄められ描かれているだろう。(Washington Post)」

大体、この「10 Cloverfield Lane」というタイトルも、なんだか意味が不明な感じです。2016年の6月、日本で公開する時点では、どんな名前が付くんでしょうね。「クローバーフィールド/HINANSHA」、とかも悪くないジョークですけどね。

それにしても、やっぱり最大の疑問は、モンスターに破壊されるマンハッタンを取り続けたカメラ、バッテリーがもつのあなぁ、という事です。

・・・ん?、補充してましたっけ映画の中で。あそうか、その間はカメラが止まるから、映像が残っていないと言う事か、こらまた失礼しましたっ。

それではまた。

参照元
Los Angeles Times
Washington Post

ズレ太

Author: ズレ太

いろんな事がズレまくってるズレ太です。 でも、意外とまじめですよっ! (記事の中で引用している映画批評は、米国の電子版メディアから抽出しての大意翻訳です。)

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