映画「ズートピア(Zootopia)」の前評判

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〔もしも動物に社会が有って、それが人間なみに酷かったら?〕

人間てのは、哀れな生き物です。ぺらぺら言葉を喋って文明のい利器を振り回したとしても、その内面では、問題を力任せに解決するという原始的かつ野生の性質が残っていて、その両方の世界を行ったり来たりして常に不安定なのです。

その不安定は、いつの間にか不安感に変わり、自分はデカくて強くなきゃだめだ、と思い込んでいる人間は、近場に適当な獲物を見つけて襲い掛かるんですよね。

結局、人間も独特な生活形態を手に入れたとは言うものの、野生動物の一種でしかないんです。

しかし、この地球上にもまだ人跡未踏の土地は残されているので、ひょっとしたら、雑多な動物達が年を築きそこに集まって生活している、そんな国が存在するのかも知れません。例えば、この映画「ズートピア(Zootopia)」で、主人公のバニー、ジュディー(ジニファー・グッドウィン)が、動物史上初の、ウサギ警察官、を目指して状況した大都会のような場所です。

ジュディーが生まれ育った田舎と違い、このズートピアには犯罪や差別が一杯です。小柄な体ながらも、立派な刑事になるべく気概を見せて活動するジュディーですが、雑多な者が入り乱れる大都会の事情は、なかなかタフな相手です。

そんなジュディー、ある日、キツネのニック(ジェイソン・ベイトマン)と出合います、なんと彼は要領だけで世渡りをする詐欺師。しかし、ズートピアの内情を知るには、ひょっとしたら絶好のパートナーなのかも。

今、ズートピアに連続失踪事件が発生し、その被害者は全員肉食系の動物達。そして、ジュディーはニックと共に、この謎に満ちた事件を捜査しはじめます。

大都会に渦巻く犯罪の中へ切り込んで行く2人、そして彼女らが辿り着いた場所には、動物どうしの差別に絡む陰謀の臭いまで、、、。

大きくて便利で、それでも実はキケンな場所、ズートピア。ここでジュディーは、刑事になるという生涯の夢をかなえられるのでしょうか?、そして、謎が渦巻くこの事件を解決できるのでしょうか?

〔ディズニーが捉えた差別と分離主義〕

人間同士ってのは、まぁ、食事する時に一番最初にお椀をいただくか、漬物を取るかの違いだけで、お互いを否定しあったり攻撃し始めたりするんです。大体、たとえば国や文化が異なる者同士であったて、かならずしも理解し合って融合融和する必要なんてないのだから、そんなに腹を立なくたっていいんですけどね。変な喧嘩さえしなければ良いんです。

ただ、考え方も色々あるし、そういう分離主義的な物言いと反対に、別の種類や文化が、うまいこと組み合わさったり混ぜ合わる事で、従来型からは生まれようもない革新的な何かが姿を現す切っ掛けになる、という思想もなりたちます。

ハリウッドなんてのは、まさに、人種の多様性が原動力になって、それ故、常に新しいモノが生み出され続けている、そんな場所なのでしょう。

「この映画「ズートピア(Zootopia)」は、世界観構築の成功例で、劇場から帰ったあなたは、すぐに動物が同じように活躍する国への旅を予約しそうになるかもしれない。しかし、この中で最も説得力を持つのは、そういった制作技量の問題というより、不安定なこの大統領選の年においてより真実に近づくような、不安と偏見の間の関連性について考えさせるという点なのだろう。だから、子供らに真実の愛と忠誠心について学ばせたいなら、“アナ雪”をもう一度見せた方が良いし、ドナルド・トランプについて彼らと話し合いたいなら、この“Zootopia”以上の素材も有り得ないと言えるのだ。(SFGate)」

、と、アメリカの子供らのため、より上質な社会教育を与える役目があるディズニー社が、政治的思想が色々とりだたされる、うるう年の春に、きしくも異種間の緊張をモチーフにしたストーリーを盛り込んだのが、この作品だそうです。

とは言え、すくなくとも日本のディズニーにある公式サイトを見ると、「夢をかなえる」というテーマの方が前面に押し出されているのも、こちらのお国柄と言えばお国柄ですね。(あぁ、US版の予告編にも、明るくポップでファニーな語調がメインです)

「差別が横行する隔離された大都会に生きるとすれば、そうとう不愉快な事になるだろう。それが、この映画“Zootopia”のテーマである。子供受けするアニメーションに、社会問題についての洗練された比喩を加えたという、粋なコンビネーションとなっているのが本作だ。確かな手腕で作り上げられ、同時にそこへ込められた意味合いにも感心する、この映画は、ジョークと出来事が、ただ並べられた作品だったと感じさせる事も、けして有り得ないだろう。(StarTribune.com)」

登場する動物キャラは、全て愛くるしい事もお約束済みですが、なかなかチャレンジングなモチーフをつかった脚本には、

「ここでの勢いの有るユーモアは、脚本のみならず間の妙によって支えられている。そして、(子供らを怖がらせるかもしれない強烈なシーンも含め)その筋書きが素早く展開してゆくとはいう物の、中盤ではよどみも見せる所が有る。多分、脚本は手直しの余地が残っているのだろうし、すでに数えきれない程、それが行われているのかもしれない。(SFGate)」

、という評価も書かれています。その上で、作品の締めくくりにかけては、

「とは言え、動物同士の差別を終わらせるために戦う、という、不気味な程にタイミングを合わせた内容のエンディングは、素晴らしいものとなっている。この映画から自宅へ戻る車のなかで、家族とディスカッションをしてみたらいかがだろうか。(SFGate)」

、とか、あるいは、

「小学校高学年の子供達は、そこに、さりげなく格好良く示されるポップカルチャーからの引用を楽しむだろうし、それより小さい子供らは、動物達の良く出来た描き方と、それぞれの個性について楽しめるだろう。(StarTribune.com)」

、と、家族そろって感動と意味を噛みしめる事ができそうな、そんな印象です。

基本的には、文化や種類が違っていても、気の合う同士が境界線を越えてめぐりあったなら、そのまま友人とか恋人、場合によったら家族にでもなれば良いし、そうしてくない人は、自分の領域に閉じこもっていれば良いだけの話です。

そして、どちらに向かっても、やっぱりヒトは不安感で一杯なんですよね。まさに、野生の動物的勘が心の奥底でささやくんです、ヤバイヨヤバイヨ、イツカヤラレルヨ、ヤラレルヨ、と、、、。

それに素直に動かされてしまうのが、ヒトという”動物”という事なのでしょう。

参照元
SFGate
StarTribune.com

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ズレ太

Author: ズレ太

いろんな事がズレまくってるズレ太です。 でも、意外とまじめですよっ! (記事の中で引用している映画批評は、米国の電子版メディアから抽出しての大意翻訳です。)

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