映画「復活(Risen)」の前評判

【広告】

〔救世主、そして復活の物語に与えられた新たな視点〕

一度失われたものは、そうそう簡単に取り戻す事ができませんし、そのもの、が命であったなら、奇跡でもない限り復活する事はあり得ません。

人類史上で一度だけ起きた、そんな、奇跡の物語がイエス・キリスト復活のエピソード。その話に現代的な視点も混ぜ込んで語りなおす、というのが、この映画「復活(Risen)」なんだそうです。

ここで、復活の軌跡に立ち会うのが、古代ローマ帝国軍司令官であるクラビウス(ジョセフ・ファインズ)。彼は、イエスとその信者たちの影響を恐れた、時のユダヤ属州総督ピラト(ピーター・ファース)から命を受け、この精神的リーダーを十字架にかけ処刑します。

しかしその後も、ピラトとユダヤ教学者達の恐れは消え去りません、イエスが3日目に復活すると予言したからです。したがって、ピラトはその墓を信者たちに作らせ、入り口を固く封鎖しました。さらに、クラビウスらを見張りにたたせる年の入様です。

表立っては、信者らがイエスの遺体を盗みにくるかもしれないから、という事でした。そして、3日が経った後、彼らは墓の内部を確認したのですが、そこに、遺体はありませんでした。

かくして、クラビウスと部下達による遺体と窃盗犯の追跡劇が始まります。しかし、それは信じられない展開を見せたのです。

捜索の末、クラビウスが出会ったのは、自分が処刑したその人物、イエス・キリストに違いありませんでした・・・。

〔奇跡を見よっ〕

実際、奇跡というのは起き得ないような現象の事を指す言葉でありますので、起き得ないものはやっぱし起きないでしょう。とは言うものの、幾多の偶然がかさなって奇跡的な出来事が発生する、というのは考えられます。

さらにいうと、2千年前からの伝承には、いくつもの言い換えや比喩とか、時代によっての書き換えが加わっているはずですので、うー、どうなんだろな。

人の信仰心というのは、とても繊細な問題なので、門外漢にとってはどう扱ってよいのか、実際、僕もわかりませんが、まぁ、この映画の批評という面で言うと、

「復活祭を待つ観客層に向け公開された、この映画“Risen”は、古くからの話を全部新たに焼き直した、という感の有る作品であり、剣とサンダルで身を固めた人物の宗教映画が多勢を占めていた時代に回帰しつつ、現在の歴史認識が与え得る皮肉っぽいユーモアを使う気概をもって、なじみのありすぎる聖書の物語に新鮮さを吹き込もうとする。(Chicago Tribune)」

、とか、あるいは、

「この作品は、ソニー・ピクチャーズ内の、信仰系映画部門が放つ最新作で、“パッション”が見せた題材の掛け合わせ手法を、そこへ持ち込もうとした様であるが、あのメル・ギブソン作品が持っていた、真にぐっと応える力は見当たらず、同時に、世俗的な観客層の関心も引けそうにもない、と言う事で、興行収益的にもたいして高くはならないだろう。(Hollywood Reporter)」

、という感想が見られます。

毎朝、車で出かけて、その夜に事故も何もなく帰宅できる、というのも、考えてみれば一つの奇跡なのかもしれませんし、別の例で行くと、オイスターバーで生ガキを堪能し、1週間くらいしても体調を崩さずすんだ、というのも、ひょっとしたら天の上からの御加護があったからなのかもしれません。その様に、日常のすべてが神の慈悲と愛によって守られている、と考えることも出来ますね。

ただまぁ、個人的に言うと、信じる心の周囲に無数のしきたりや様式を付け加えて、それが巨大事業に膨れ上がると、宗教・信心もどうなんだかなぁ、とか思ってしまうんですね。

しかし、ハリウッドの業界内にとっては、イースターに向けてイエス復活の奇跡を再び映像化するというのも、大切な仕事のはずです。

ただ、映画として見られると、なかなかシニカルな評を下されてしまう部分も有るようでして、

「この映画は、よりもっと興味深かったはずの政治的あれこれや策謀事を、日の出や月光を用い感動的にイエス・キリストを映す事のために犠牲にしている。イェシュアの抱く揺るぎない信仰心は、この“Risen”全体を通しての原動力にはなっている、とは言うものの、そんなモラルを持ち上げている反面、映画的なストーリー性が消えてしまったのも事実だろう。たやさぬ笑みと抱擁を交えながら、スピリチュアリズムの決まり文句をやんわり語り、陳腐な決め台詞を放つここでのキャラクターには、ニュアンスなども込められていないのだ。(Chicago Tribune)」

、あるいは、

「登場人物がみな英国訛りだ、とか言う、よく見る聖書もの映画のでっち上げがそこに有るとしても、本作“Risen”は、そのスリラー的な部分で見るものを引き付けるだろう。抑制の効いたジョセフ・ファインズによる演技は、作品のドラマ性が持つ意味を繋ぎとめる仕事をしているし、マオリの血を引くクリス・カーティスは、ブロンドで青い目というありきたりのキリスト像に、良い変化をつけているのも事実だ。それでも、話が信仰心の部分へと踏み込むくだりでは、痛々しくも退屈になってしまう。低予算の中で奇跡を描写しようとしても、いかなる改宗者も呼び寄せることは叶わないだろう。(Hollywood Reporter)」

、とか言う批評ですねぇ。

さて、それが自分でも神の子供であっても、死んだら黄泉の国へ下るのがベストな気もするんです、終わり方にも寄りますけどね。ニューエイジ系の思想だとその先に、より高いレベルの世界が待っているとか、仏教だと、この世に生まれ変わりとなって戻ってくるんでしたっけかねぇ。とにかくその先は、現世の誰も行った事がない場所なので、皆目わからないんですわ。

ほんと、心と宗教の問題はむつかしいなぁ・・・。

参照元
Chicago Tribune
Hollywood Reporter

ズレ太

Author: ズレ太

いろんな事がズレまくってるズレ太です。 でも、意外とまじめですよっ! (記事の中で引用している映画批評は、米国の電子版メディアから抽出しての大意翻訳です。)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。