映画「Deadpool」の前評判

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〔もち、俺って超人ん〜、でも、ヒーローとかじゃねってば。〕

人って言うのは皆、社会の中では仮面をかぶって生活してるもんです。思ったことは全部クチにする、なんて勇猛果敢な事を言われる方も、根底の所ではちゃんと損得計算をしているんですよね。

本当の顔や素性を隠ぺいして、悪と戦うスーパーヒーローってのは、だから、社会人のそういう性格を比喩しているのだとも思います。本当の自分自身をさらけ出しちゃうと、本当に正しい事(=社会生活=悪者退治)が出来ない、、、とか言う、ちょっとこんがらかって意味不明な気も、しなくはないんですけど。

うーんと、逆に、自分をまったく見せない位の覆面をしちゃうと、怖い物がなくなって自己が暴走するケースも有りますね。自分の言動が一番正しいと皆が思っているんですが、それを何の配慮もなく人に投げつけたら、やっぱし、ただの破壊者になっちまいます。

さて、もともと覆面なんてなくても、すでに遠慮のえの字も知らない程の皮肉屋だったのが、この映画「Deadpool」の主人公である元特殊部隊員、ウェイド・ウィルソン(ライアン・レイノルズ)さんです。

彼は多分、自分が特別な存在、つまりはミュータントだという事に気づいていたのかも知れません。

ともあれ、軍人を止めた今、彼はあるバーみたいな所に出入りして、世の中の汚れ仕事を請け負い食べています。そこには、バネッサ・カーライル(モリーナ・バッカリン)という娼婦さんが居て、ウェイドは彼女と上手い事に良い仲になります。まぁまぁ楽しい生活でした、彼の体に異変が起きるまでは。

ウェイドの体の不調は、アジャックス(エド・スクライン)という、怪しげな男の知る所となり、その施設へとウェイドは収容される運びになりました。実は、アジャックスはミュータントを作る陰謀を画策していたんです。

どうやってミュータントを?。それは、遺伝的な素質のある者を酷い拷問でいためつけて、DNAが発動するきっかけにしてやる、という、これまた酷い手法に寄ってです。そして、この方法が、ウェイドの体にも変化をもたらし、彼のスーパーパワーが発動しちゃったんですよね。でも、代わりに変わり果てた容姿にも、生まれ変わってしまったんですけどね。

どちらにしても、それは酷い話だろっ。という訳でウェイドは、陰謀の張本人であるアジャックスと、その子分のエンジェル・ダスト(ジーナ・カラーノ)への復讐を誓い敵対する事になりました。そんな彼には、仲間になる別のミュータント(ブリアナ・ヒルドブランド)も見つかり、2人は協力しあって、悪の総帥アジャックスを追いかけ始めたのです・・・。

〔マーベル作品には珍しい、Rのレイティングと共に登場のニューヒーロー〕

気が付けば、いつの間にやらハリウッド映画から、勧善懲悪という文言が消え去ってるんですよねぇ。まぁ世の中、正しいと正しくないだけで単純に線引きが出来ないという事が、アメリカ社会の中に一つのコモンセンスとして根付いたんでしょうか。

でも、デッドプールみたいに素行が悪すぎると、これまた盛大に子供を呼び込んではいけません、という訳でこの作品のレーティングはRです。そのヒーロー像は、

「マーベル最新の劇場作である、この映画“Deadpool”は、実に、パーティや飛行機で同席する誰かを思わせる、と形容し得る姿をした一作だろう、とは言え、それは必ずしも良い意味ではない。ここで、ライアン・レイノルズがエネルギッシュに演じるデッドプールは、おそらくミュータントである。彼がみせる厚かましさは、まず、あなたの気分を盛り上げるのだろうが、同時に、このキャラクターは、身だしなみが良いという人物でもないのだ。そして、皆が寄せる善意などはよそに、デッドプールが活躍する様子を見るのは、言ってみれば、“魔法使いの弟子”にミッキーマウスが出てきた様なもので、(そのペースにやられてしまうと)存在するはずもない停止スイッチを探し始めてしまうかもしれない。(Los Angeles Times)」

、とか、あるいは、

「ジョーク、ならびに、銃弾が、この映画“Deadpool”の中では紙吹雪なみに放射される。この元傭兵のスーパーヒーローは、ともするとスパイダーマンに似ていると言われるかもしれないが、殺戮をするたびに楽し気にスクリーンを赤く染める、その様子などを見ても、ヒーローというより異常者に近い性格である。(The New York Times)」

、なんて評されているようです^^。

最近じゃ、ニューヨークとかシカゴの高層ビルが、がらんごろん砕けて倒れ掛かってきても、観客にはさほどの感動を与える事もできません。というか、みんな見飽きちゃってるんではないでしょうか。なので、たとえ難しいレーティングになっちゃったとしても、大人のウィットに響く映画が必要なのだろうと思います。

「ここでの、ライアン・レイノルズは、2011年に主演した“グリーン・ランタン”に比べ、ずっとしっかりした地盤を与えられているようである。そのデッドプールは、ウルバリンの性的趣味についてジョークを飛ばし、自分自身には、‛俺は102歳まで生きてそして死にたいんだ。デトロイトの街みたいな感じでな’なんて言葉を吐く。そういった演技も最終的にはくどい印象に終わってしまう所も有るが、それでも、レイノルズはとても上手くこなしているだろう。(Los Angeles Times)」

、デッドプールは、そんなセリフをスクリーン越しに、見ている人々へと放り投げてくる人らしいです、他には、

「本作は、マッチョなヒーローものとして描かれつつも、ロマンスの要素は最も光る点となっていて、難しい人間関係を得意とするモリーナ・バッカリンには、最大の賛辞が送られてしかるべきだ。彼女の仕事ぶりは、この映画を普通に予想し得る一本より、もっと魅かれる作品たらしめているのだ。(Los Angeles Times)」

、とかも言われてて、一本調子じゃない映画だと言う事が判ります。

皮肉って言うのは、物事の意味に解釈の幅を与えて、別の取り扱い方とか、次の世代のものを生み出すきっかけになると思うので、それを駆使する技は、けっこう高尚だったりするんでしょう。ただ、相手の気分を害する目的だけで厭な言葉を発するのは、悪口でしかありませんからね。

だから、こういう作品に脚本を書くのは、難しい要素も有りこそしますが、うまくはまったら何か大きなものを生み出せそうで、作家さんとしては面白い仕事だと思います。

「この製作者がやたらと振り撒く愛嬌などは、オープニング・クレジットの段階から現れていて、そこには従来のようなキャスト&クルーの紹介ではなく、このジャンルの映画につきものの要素、‛良い女’、‛イギリス人の悪玉’、そして‛笑わす道化’などの事が表示されてゆく。そして、これらの要素がこの作品にも登場するのか?、と、観客達にちょっと考えさすと言う意味において、それは映画の中のベストの流れとなっているだろう。このオープニングを笑うというのは、ある種の自虐的な楽しみに降伏するという意味でもある。それは、見ている側自身も、相変わらずなものを想定しているという事を自嘲するものであり、結局このジョークは、観客を扱っているのだと示唆しているのだ。(The New York Times)」

ハリウッド映画っていうのは、アメリカ人が世界に売り込んでるプロパガンダだ、とか、陰謀論がお好きな方達が、一流の皮肉を込めて語られます。まぁ、そんな部分もあるとはいえ、結局、映画という物自体、何かを成し遂げる(動かす、買える)ための面白い道具である事も確かです。

さて、最後に、

「製作者達は、普通の世界に戻る事で、出来の悪くないメロドラマの的な場面も加えていて、その部分が、同様な他作品よりも本作を少し野心的な一本に仕立てているだろう。その場面は、ストーリーに基礎を与えるとともに、感傷的なムードの中でも、本作が抱く、知ったこっちゃあない、というニヒリズムの皮肉も見せる部分だ。(The New York Times)」

この映画「Deadpool」が、プロデューサーさんの目論み通りに大きく当たったら、また、シニカルなヒーローものの模倣作品が、わんさか作られる流れになるのでしょうか?。ハリウッドのマーケティング至上主義からすると、あり得なくもない話です。

それは、一流のシニカルなウィットが売り物である、このデッドプールにとっては、あまり楽しくないお話でしょうけれど、ね。

ではまたっ^^!。

参照元
Los Angeles Times
The New York Times

ズレ太

Author: ズレ太

いろんな事がズレまくってるズレ太です。 でも、意外とまじめですよっ! (記事の中で引用している映画批評は、米国の電子版メディアから抽出しての大意翻訳です。)

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