映画「キリング・オブ・ア・セイクレッド・ディア(原題)」:コリン・ファレルに向けられた復讐の呪い

怨念は燃え尽きるまで消えず・・・

奥ゆかしき文化を誇る我が日本では、昔から、人を呪わば穴二つ、という言い回しが使われています。

他の誰かを恨んで呪い続けたって、むしろ自分にとって、ろくな事はないよという教訓な訳ですが、21世紀の現在でも丑の刻参りは結構行われているという話もあり、やはり未だに、人の世と怨恨というのは切っても切り離せない深い絆で結ばれているのでしょう。

とは言うものの、複数以上の人から呪われて死ねばいいのにと思われている輩が、大空の下を平気で闊歩している反面、その周囲の一般庶民がとばっちりを受けている事も多く見受けられる昨今、恨みの念の効力というのも、かなり疑わしいものでもあります。

何にしても、絶対にすっきり解決する事がないのが、人を恨む、という行いです。

さて、独特な角度から超常現象の存在を認めているハリウッド映画業界では、復讐の呪いの扱い方にも、藁人形&五寸釘というものより多様なスタイルが考案されます。

今回ご紹介するミステリアスなホラー映画「The Killing of a Sacred Deer」は、呪いが持つ微妙でミステリアスな性質を、上手く取り入れたストーリーで展開する一作なそうですが、どんなお話なのでしょうか?

あらすじ

スティーブン・マーフィー(コリン・ファレル)は、有名な心臓外科医。

彼は、同じく医者である妻のアンナ(ニコール・キッドマン)、そして、10代の娘キム(ラフィー・キャシディ)とその弟のボブ(サニー・サジック)と共に、住みやすい郊外の大きな家で、快適な生活を送っています。

そんなスティーブンですが、最近、ちょっと不思議な人間と会うようになりました。その相手となる青年の名前はマーティン(バリー・コーガン)、10代と思しき男性です。

2人は、ちょくちょく会い、時に食事をしたりギフトの交換すらしている様子。

どことなく物事への反応が薄く、それでいて、恐ろしく勘の働く時も見せるこの青年は、実はスティーブンの人生にとって非常に大きな存在なのです。

スティーブンは、数年前に行った心臓外科手術の後、1人の患者を死なせていました。いや、実際に手術に問題があったかどうかは不明です、何故かと言うと、この患者の息子は、医療過誤の訴えを行わなかったから。

そして、その息子こそが、いまスティーブンの前にいるマーティンその人なのです。マーティンの目的は明確。裁判に訴える代わりに父親の無念を復讐によって晴らす事。

マーティンはスティーブンに要求します。妻のアンナか、2人の子供の内どちらかの命を奪え、もしそうしなかったら、家族全員が酷い病気にかかり死んでゆくだろうと。

もちろん、スティーブンがそのような事を容易く行う訳はありません。しかし、そうしている内にも、子供達がマーティンの予言した通りの謎の症状を発症しはじめたのです。

はたしてこれは、マーティンが仕掛けた復讐の呪いなのでしょうか?、彼には、そのような超自然的なパワーがあるとでもいうのでしょうか?

キャスト&スタッフ

  • 監督:
    • ヨルゴス・ランティモス
  • 脚本:
    • ヨルゴス・ランティモス
    • エフティミス・フィリップ
  • 制作:
    • ダニエル・バットセック
    • サム・ラベンダー
    • ニッキー・ハティング
    • ポーラ・ヘファーナン
    • ピーター・ワトソン…他
  • 出演:
    • コリン・ファレル
    • ニコール・キッドマン
    • バリー・コーガン
    • ラフィー・キャシディ
    • サニー・サジック…他

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謎の呪いに苦しむファミリーを追うストーリー、気になる評価とは?

実際に呪いみたいなものが存在するとしても、その効果というのは、退屈な位に曖昧なものなんだろうと思います。ほとんどの場合は、何となく体調がすぐれないとか、最近物事がうまく運ばないとか、そんなレベルの出来事の連続なはずです。

それは、超常現象的な作用なのか、ありがたくない偶然の連続なのかは、誰にも検証しようがない訳ですが、逆に言うと、そこがミステリアスで都市伝説のネタとしても好まれるポイントになります。

同時に、そのはっきりしない部分を上手くすくい取ってスクリプトを書き上げ、ちゃんとした役者さんを起用して映画化したら、かなり興味深いものになるとも言えます。

本作は、そんな方向を狙った一本だと思うのですが、

「ヨルゴス・ランティモス監督による新作映画「The Killing of a Sacred Deer」が、以前見た事があるような話だと言い切ってしまうのは、いささかフェアでないだろう。この監督が描いて見せる感受性は、実に独特なものであるからだ。だとしても、『ロブスター』などの映画を味わった観客達は、同じ監督が有りきたりなこの筋書きを扱っている事自体に、驚きと、ややもすれば落胆すら感じるかもしれない。ジャンル分けされる事も嫌いながら、他からの影響を払いのけて作られていた彼のこれまでの作品に比べ、本作は、しょっちゅう聞く同じベルの音を、また聞かされているような印象がするのも事実だ。(The New York Times)」

、と言った批評が書かれています。

とはいえ、人間が考え付ける筋書きというのも、自然と種類が限られているでしょうから、常に突飛な斬新さが得られるものでもありません。

例えば、ミステリーとして考えれば、その観客達は、事件の原因や正体を色々と詮索しながら、クライマックスまで引きずり込まれる事を望んでいるでしょう。それを成功させるためには、固いバックグラウンドの設定だけでなく、その周囲に興味深いムードを盛りつける事も必須です。

その方面については、

「この映画『The Killing of a Sacred Deer』については、そのトーンに最大の魅力があると同時に、その事自体が説明の難しいポイントでもある。この映画は、わずかに、そして全体を通して継続的にひねりが効かされた作品だ。ただ、そう聞くと、監督のヨルゴス・ランティモスが自身の趣味にあった不条理主義を描く事のみが、この映画の主目的のようにも感じさせてしまうだろう。実際の所この監督は、もっと興味深い何かをこの作品に仕込んでいる。彼は、エコーが響き渡る大音響などを使用せず、その場面の中では異常な出来事を生じさせる事で、それが、日常の世界でも起こり得るという雰囲気を創り上げてみせる。本作は、それ自体が良く出来たホラーだった事を観客が充分気づくまで、1、2日かかるかもしれないという映画である。(San Francisco Chronicle)」

、と言う批評が見られますし、何より大切な役者さん達については、

「たくわえた髭の向こうで半分隠れてしまったように見える、ここでのコリン・ファレルだが、本来持っているやんちゃな性質をほぼ消し去りながらも、そこに小さな火種だけは見え隠れさせる演技をしている。また、製作者が用意した人工的な背景の前でも、常に見事な自然体を演じて見せるニコール・キッドマンは、この作品では監督のイマジネーションに包み込まれた中で、画面上に新鮮な風を吹かせてくれている。さらにバリー・コーガンは、時に懇願し、同時に親近感を拒絶しながら、その表情の中に、純真さと恐ろしい狡猾さの両方を示唆してみせる。(The New York Times)」

、と言う肯定的な評価があります。

娯楽作の中では、「体験」させる映画、というのも最近よく登場します。しかし人というのは、CGモデリングによる不気味な怪物とか、サラウンド音響のショックなどを、視覚や聴覚で体験させるより、脳の中のイマジネーションを刺激したほうが、ずっと効果的で深みのある印象を持つはずです。

作り込みの上で、そんな要素も期待させる本作については、

「描かれる人物達の間の、冷めた距離感の中で、この映画は不可能と思える程難しい描写を成功させている。そして、本作がホラーストーリーであると確認するのは、実際に鑑賞してみるのが一番である。バリー・コーガンが、彼の視線から完全に生気を消し去りつつ、非常に微妙な表情の変化だけで脅威と穏やかさの両方を表している事は、この特殊な映画の演技の中でも、驚かされる点となっているだろう。(San Francisco Chronicle)」

、と言った批評も書かれていた事を、最後にご紹介しておきます。

呪いの形にもブレイクスルーが

仮に、自分が復讐の怨念をはたそうとするなら、対象になる相手には、じんわりとした微妙な悪運を、できるだけ長い事味わってほしいと思うでしょう(と、ブラック・ズレ太が言っております)。

まぁ、その方法がオカルトであっても、ネット上の誹謗中傷であったとしても、自分の怨念が伝わって相手が苦しむ様子をちゃんと確認できない限り、復讐心を満足させる事はできません。またそれを、長い事継続するのは苦痛以外の何物でもありません。

つまり、並大抵の労力では実現できないのが、復讐の呪いだという事になりますね。

そう考えてくると、誰かをひどく恨み続けて暮らす事は、自分の人生の生産的な側面を殆ど犠牲にする事にしかならず、やっぱり、自分にアダとなって返ってくるだけのもの、と分かります。

同時に、自分自身が他の誰かに同じように恨まれていないという保証はなく、そのケースでは、恨みが恨みを恨んでリングのように怨念が巡り、最後に恨みが止まった人物が割を食うという、別の意味でコワい話になります。

こんな筋書、新鮮なホラーのプロットとしてなら、歓迎され得る話。その方面においてのみ、近い将来、新たな呪いのフォーマットが生まれる事を期待しても良いでしょう。

それではまたっ!

参照元
The New York Times
San Francisco Chronicle

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ズレ太

Author: ズレ太

いろんな事がズレまくってるズレ太です。 でも、意外とまじめですよっ! (記事の中で引用している映画批評は、米国の電子版メディアから抽出しての大意翻訳です。)

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