レイク・ベルが夫婦生活に疲れた2人に捧げます:映画「I Do … Until I Don’t」の評価

結婚はタダのしきたり!?

人は皆、自由であると言いつつも、結局、自分が生まれるずっと前に決定された社会のしきたり、例えば結婚なんていう制度に縛られ、同時にそれに依存しないと生きていけません。

まぁ普段は、そういった縛りの中で適当に妥協をしながら、上手い事やってゆくのが、一応の幸福を手に入れる秘訣でもあります。その典型なのが結婚生活でしょう。

同時に、すべての先進国に住む多くのカップルが、我慢によって結婚生活を守っているというのも、なんだか皮肉な図式ではあります。

そして、世の中の皮肉な実情や問題は、ひょっとすると面白いストーリーの出発点になるかも。という事で、結婚生活に関する面白おかしい(そして皮肉な)コメディー映画が、毎年のようにリリースされる訳ですね。

さて、その一本と思しき、今回ご紹介するコメディ、映画「I Do … Until I Don’t」は、監督・脚本・出演の全てをこなす才女、レイク・ベルが、結婚という文化の問題に切り込む風刺ドラマであるそうです。

あらすじ

ドキュメンタリー映画監督のヴィヴィアン(ドリー・ウェルス)には、一つの考え方がありました。

それは、「平均寿命が延びた現代においては、男女2人が死ぬまで添い遂げる結婚という仕組みは時代遅れ。本来なら、延長オプションありの7年契約制に転換すべき」、というもの。

今般、この持論を証明するべく、離婚しそうなカップルが一番見つかりそうなこの土地、合衆国はフロリダ州ベロビーチへと出向いたヴィヴィアン。ここで、題材にぴったりのカップルを見つけてインタビュー映像を収録し、結婚の問題点を浮き彫りにした作品を制作しようというのです。

そんな彼女。立ち寄ったダイナーで、早速、目的にぴったりの一組のカップルに出会いました。その2人とは、食事中でもバイクのヘルメットを脱がない夫、ハーヴェイ(ポール・ライザー)と、それに文句を言っている妻の、シビル(メアリー・スティーンバージェン)。

さらに、ヴィヴィアンは、地元で冴えないブラインド屋を営む、ノア(エド・ヘルムズ)と、その妻、アリス(レイク・ベル)にもオファー。なんでも、ノアには、定期的にアリスの息が嗅ぎたくなるという変な趣味があるといいます。

加えて、アリスの妹である、フェニー(アンバー・ハード)と、そのパートナー、ゼンダー(ワイヤット・セナック)もこのドキュメンタリーに加わります。こちらのカップルは、自由を愛しすぎていて婚姻関係や貞操観念などにはまったく縛られない、ヒッピー的な価値観の持ち主。

さて、とりあえず作品の題材となるカップルは集まりました。後は、彼ら彼女らの抱く結婚生活への考えをうまく引き出して、ドキュメンタリーにまとめれば、結婚が古臭い制度だという事がおのずと証明されるはず。

しかしまぁ、そのインタビューの中には、カップル毎にれぞれある、ややこしいルールとか何かも、暴かれているようですよ・・・

キャスト&スタッフ

  • 監督:
    • レイク・ベル
  • 脚本:
    • レイク・ベル
  • 制作:
    • ジェイソン・ベック
    • アンディ・ボーン
    • レイク・ベル…他
  • 出演:
    • レイク・ベル
    • エド・ヘルムズ
    • ポール・ライザー
    • メアリー・スティーンバージェン
    • アンバー・ハード
    • ワイヤット・セナック
    • ドリー・ウェルス…他

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夫婦間の問題を鋭く風刺するストーリー、気になるその評価は?

人間が2人か3人集まれば、そこに自然とルールが生まれるものです。

僕らって、どれだけ縛られたい生き物なんだろう、なんて時折思ったりしますが、このローカルルールというのが、外部から見るとなかなか珍妙な事も多いもの。

それを上手く扱ったら、コメディ映画の中に独特の機微を入れこむ事ができそうではありますが、話としてまとめるには難しそうな気もしますよね。

とにかく、そんな狙いがあったかもしれない、この作品については、

「レイク・ベル、に一言:力を入れ過ぎるのはもうお止めなさい… 脚本・監督・主演として彼女にとって2作目となる、この『I Do … Until I Don’t』で見られるように、製作者としても演者としても、彼女には称賛されるべき十分な才能が有る事は明白だ。コメディを組み上げる時に彼女が効かせる声のシャープさは、端的で多層的な言い回しにより場面を作り上げるセンスを明確に示すものだ。だとしても本作には、まだ欠如した要素がいくつかある。ベルは、一つの愉快な瞬間を浮き彫りにし磨きをかける事で、リアリティをも与える事ができるのだが、同時にその一方で、そこから呼吸を奪い去ってしまう側面もあるのだ。本作では、様々な感情性が噴き出すのは、大詰めの段階の後半であり、そこまできてやっと登場人物達にも、映画の部品ではない温かみのある人間としての立ち位置を与えられる事となる。(The Seattle Times)」

、との評価がありました。ただ、作品に、スムーズさよりも、いびつさを与えて、結婚という概念の(ある種の)珍妙さを表現するという意図があったのかもしれませんよね。

とにかく、エピソードやアイテムを多く用意して、ストーリーの中でぶつけ合ったら、何かが動き出すだろうとは思えます。

、とは言え、

「ここに登場する、可能な限り太い輪郭で描かれたような、くどい人間関係は、的を得たポイントや人間のリアルさが欠けるこの映画の中身を、逆に沸き立たせる役目もしているだろう。そこには、本作が不快で漫画チックなのと同程度にジェントルかつ純粋であった、2013年の作品『私にだってなれる!夢のナレーター単願希望』で、同じベル監督が見せた才能の気配が、感じられる部分がある事はあるのだ。(The New York Times)」

、と言った評され方もみられます。

一通りの批評を見てきて、この「I Do … Until I Don’t」に関する評価は様々としても、レイク・ベルという人に対する業界内部からの期待感は、なかなか強いものが感じられます。

そんな事から見てみると、

「サンダンスで脚本賞を獲得した第1作、『私にだってなれる!夢のナレーター単願希望』の成功は、称賛されたと同時に、レイク・ベルにとっては呪いのようになったのだろう。4年が経った今、この監督は、前作とかなり違うと言う以上にアイディアもさほどでない、この『I Do … Until I Don’t』というコメディを作り上げた。そして、更なる検討の余地が残っていたのは、この面倒くさいタイトルだけではないのだ。このストーリーは、(そこそこな)ジョークを弱々しい筋書きの中で無理やり抱き合わせたように感じさせる。奇妙な状況の中へキャラクター達を押し込もうとすれば、そこでの論理性も零れ落ちてしまうのである。本作は、疑似的ドキュメンタリーのように、演出がされすぎない映画として成り立ったほうが、より良い結果を生んだはずである。(Washington Post)」

、という評論も書かれています。

変えられないものも、変えられるものも、結局変わらない?

現代の先進国の社会構造だって、絶対的な理由があり形が決まった訳ではありません。

物事には、つねに、別の選択肢が存在するものです。

まぁ、アナーキズムとか陰謀論を論ずるのではないですが、自分が縛られている世のしきたりに、ちょっと疑問を抱いてみて、いろいろ皮肉や風刺を考えたら、面白く斬新なものを生み出す事ができるはず。

そうやって出てきた新しい発想は、当初はいびつに感じさせるもので、存在を軽視されたりもしますが、時間と共に常識を変える‘何か’になるでしょう。

そういう斬新なものを、いろいろと放り込んで簡単に実験できるのが、映画のストーリーテリングの旨みでもありますよね。

さて、制作も配給も非常に小型の作品である、この「I Do … Until I Don’t」は、映画業界のしきたりに従い、日本公開は未定です。

それではまたっ!

参照元
The Seattle Times
The New York Times
Washington Post

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ズレ太

Author: ズレ太

いろんな事がズレまくってるズレ太です。 でも、意外とまじめですよっ! (記事の中で引用している映画批評は、米国の電子版メディアから抽出しての大意翻訳です。)

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