キャスリン・ビグローがアメリカの不寛容さを斬る:映画「Detroit」について

人の作ってきた理不尽な歴史をみつめて

僕達が普段考えている事は、全部、別の所で誰か(もしくは何か)に吹き込まれた情報がベースになっています。

この世の中が、頼りにできる位に安定した状態にあるためには、「普通」とか「常識」っていう基準ラインが絶対必要で、僕らは、それに無意識のうちに従っているから、生きていけてる訳です。

だけど、皆が考えている常識が、とても悪い出来事の原因になる事もあります。

今でも無くならない、人種とか宗教、あるいは異文化間の摩擦というのも、お互いの基準がズレている事に原因があります。

そういったものも、正義と悪とかの問題ではなくて、皆の「常識」の中に必ずある間違ったポイントが原因で、起きている争いなんですけどね・・・

さて、常に異才を放つ映画監督(ですよね?)、キャスリン・ビグローさんみたいな人が、エイリアンとロボットを総動員状態の真夏の娯楽映画シーズンに、この映画「Detroit」みたいな作品をメジャーリリースしたのも、時が経っても変わらない、人間の偏見にみちたダークな内面をえぐり出すため、とも思えます。

これは、60年代のアメリカの人種間の対立が元で発生してしまった、陰惨な事件を描き切っているものだそうです。

あらすじ

時は、1967年の夏、場所は米国ミシガン州にあるデトロイト市。

その夜、警察がとある脱法酒場を摘発に乗り出しました。そこは、黒人オーナーが営む黒人客のための店。オーナーは、酒類販売の免許を持っていません。

この摘発により、多くの市民が逮捕されましたが、問題はその後。警察のこの行為が、長年、黒人達の中に鬱積した怒りに火を付けてしまったのです。

デトロイトの街には、あっというまに暴動の嵐が広まりました。市と州の警察どころか州兵まで動員されましたが、騒動は朝になっても一向に静まらず、むしろ酷くなるばかり。

その夕刻のこと。この土地に建つ一軒のモーテルに、数人の黒人青年が部屋をとっていました。その中の一人、カールが手にしているのは、陸上競技用のピストル。そして彼は、あろうことか、それを窓の外に向け、引き金を引いたのです。

暴動で緊張状態にある中では、これは実に愚かしい行為です。

この音を聞きつけた州兵は、自分らに向けた狙撃の銃声と解釈。すぐさま、土地の警察へと連絡をしたので、数人の警官がこのモーテルへとやってきました。そのリーダーが、有色人種には差別的な思想の持主であるクロース(ウィル・ポールター)です。

モーテルには、歌手をしているラリー(アルギー・スミス)、その友人フレッド(ジェイコブ・ラティモア)、ベトナム帰還兵のグリーン(アンソニー・マッキー)、そして先のカールなどに加えて、2人の若い白人女性、ジュリー(ハンナ・マリー)とカレン(ケイトリン・ディーヴァー)らがいます。

そして、黒人男性と白人女性が同じ部屋で遊んでいる、という事実が、偏見に満ちたクロースの気持ちをさらに激高させてしまいました。

警官達は、モーテルの客たちを壁に向かって並べさせ、さらには、一人づつ別室へと呼び出して銃口を向け始めたのです。

それは、アメリカ史上でも特筆すべき、悲惨な暴行事件の始まりでした・・・

アメリカが忘れてはいけない事件を描くストーリー、その評価は?

実際のところ、この映画が扱った事件について、本当の事が完全に明らかになった訳ではないそうです。

幾つもの謎を残しながら、警官達は裁判で無罪となりました。

しかし、死ぬ必要のない人が、異様な状況下で命を落としたのも現実。映画作家の問題意識が、こういった事件を風化させまいと働いた事も、うなずける部分ですよね。

本作は、思い出したくもないアメリカの黒歴史を直視したものですが、、

「キャスリン・ビグローは、この映画『Detroit』において、1967年の夏にデトロイトで発生した暴動に関する出来事を、時を超えて悲しくも存在し続ける白人と黒人の軋轢として、残酷な語り口でドラマ化して見せた。これは、我々自身の醜い過去を強く思い出させるとともに、実に、重要なトピックを含んでいる。だとしても、この映画自体が、それほど魅了する作品にはなっていない。本作は、当然、気落ちさせる不愉快な内容であるが、その中でも、ある程度の結末やキャラクターの盛りつけなどに、不足感が残るのも事実である。(Miami Herald)」

、という、「映画」としての評価があります。

誰にとっても、嫌な過去は思い出すのも嫌、な訳ですが、

「監督のキャスリン・ビグローらは、一つの脚色した世界観をここに描いている、そしてさらに、暴力事件の発生が日常的に想定されているという、命の価値が軽んじられた精神性をも、そこへ組み上げていく。遠い昔の、今とは違う世界を描くことは最も困難な仕事だったはずだが、この製作者たちは間違いのない意思をもってそれを行ったと言える。これは、最近起こった白人警官による黒人への暴力事件に着想を得た映画でもあるが、同時にその制作過程において、(50年まえの暴動の)発端となった権威主義についても良く調べながら撮影された。そういった背景が、過去の悪い時代の持つ嫌な印象を、今日の出来事のゆがんだ写像のようにも見せる結果となっているだろう。(SFGate)」

、という事も書かれています。

真夏の、VFX映画祭りの真っ最中に公開時期を設定した点も、なかなかチャレンジングな姿勢だと言えるのが本作です。暑さにタガが緩み勝ちな映画産業を、ピリっと引き締める役割もしてくれそうではあります。

とはいうものの、扱っている内容はとても繊細で、ひょっとすると、その描き方にも賛否両論が生まれそうな気もする訳ですが、

「ビグロー監督と脚本のマーク・ボールは、緊迫のプロットや厚みのあるキャラクターなどを、巧みに操って見せる術を知っているはずだ。しかしながら、この『Detroit』では、その語り口がよろめきを見せてしまう。制作者が、自身の脚色の中間にリアルの報道映像を挿入する事は、撮影したシーンをわざとらしく見せるリスクを負う事になる。そして、本作で繰り返し見せられるアルジアー・モーテルでの出来事は、観客を辟易とさせかねないし、最後の裁判のシーンはおざなりに感じさせるものだ。(Miami Herald)」

、という意見と、また、

「カメラを無為にゆすったりしない事で、押さえつけられた者の視線の動きを表現しようとする本作は、暴動の発端となった、あるいは、それを発展させてしまった人々ではなく、望みもしないのにそこで生活を台無しにされ、あるいは破壊されてしまった多くの市民を扱う映画である。この『Detroit』は、観客を不愉快にさせる物語が込められている、そして、お約束のような救いなども一切提供することはない。同時に、ある種の正直さを持ち、その中のあらゆる瞬間が価値をもっているという映画なのだ。(SFGate)」

、という評し方も見られます。

メディアも民衆も、出来れば忘れてしまおうとする過去を語るストーリーを、ビグローさんみたいな一流の映像作家が、メジャーな作品としてリリースできるのは、アメリカの自由と民主主義がいまだに一流である事の証、と言ってよいのかもしれません。

真実が見えなくなるから恐ろしい

50年も前に、デトロイトに有った安宿、アルジアーズ・モーテルで本当に何が起きたのかは、今となっては誰にも分りません。

事の発端となった数発の空砲ですが、それを鳴らすために必要な銃などの類は、現実には、このモーテルからは発見されませんでした。

全員が異常な興奮状態にあったさなかでは、例え殺人事件であっても、細かな検証などは意味をなさなくなってしまったんですね。

普段は強く正しい人でも、一度パニックに陥れば、間違った情報や周囲の動きに流されて、時として酷く非人道的な行為を行ってしまうものです。

そして事態が落ち着いた時、自分の行った事を振り返っても、もう取り返しのつかない状態になっているでしょう。

人は、世の中の流れとか、「常識」や「普通」というものに対して、ほぼ抵抗力が無いものです。

僕らも、愚かな過ちだけは犯さないように、気を付けたいものですよね。

ではまたっ!

参照元
Miami Herald
SFGate

ズレ太

Author: ズレ太

いろんな事がズレまくってるズレ太です。 でも、意外とまじめですよっ! (記事の中で引用している映画批評は、米国の電子版メディアから抽出しての大意翻訳です。)

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