映画「猿の惑星: 聖戦記(グレート・ウォー)」:地上の支配を決める偉大なる大団円

人類、と、類人猿を分けるものとは?

いわゆる猿の類から、2足歩行を獲得してホモサピエンスが生まれる系譜には、未だに「ミッシングリンク」が存在するのだそうです。

つまり、どうやってヒトが生まれたかの問題は、まだまだ、しっかりした科学的確証が無く、謎の領域なんですね。

一部の人達は、古代にやってきた宇宙人が、地球上のおサルに生体実験をして知性を植え付け、ヒトが生まれた、と信じているでしょう。いや、ひょっとしたら、その頃地球を支配していた別の超文明が生み出した、脳を刺激するウィルスかなにかで突然変異を起こしたのかもしれません。

ま、色々と想像すると面白い話である事は確かです。そして、その面白いテーマは、「猿の惑星」という面白い映画シリーズの、いわば屋台骨。

この2017年夏休みに(米国)公開された、「猿の惑星: 聖戦記(War for the Planet of the Apes)」では、地球を猿の星にするための「グレートな戦争」が勃発しそうです。

あらすじ

その戦争で一応、正義の味方である勢力が、サンフランシスコの北方に住み着いた、賢い猿達の一群。これを率いているのが、中でも飛び切り頭の良いチンパンジー、シーザー(アンディ・サーキス)です。

シーザーは、基本的に人間との間の平和な共存を模索しているのですが、人間の側で軍勢を率いている猛々しい男、大佐と呼ばれる人物(ウディ・ハレルソン)は、そんな結末は決して受け入れ難いと考えているようなんです。

すでにこの頃、お猿の側に知性をもたらしたウィルスは、人間にとっては厄介な病気の元となり、かつての地上の支配者達を、急速に衰えさせています。

そんな中、大佐の目論みは、猿達を根絶やしにすると同時に、ウィルスに負けた弱い人類をも始末するという、恐ろしい戦略に向かおうとしてるらしいんです。

漂う破滅のムードの中、2つの軍勢がぶつかる大戦争が、今始まろうとしています・・・

大人気デストピア・スリラーの大団円、気になるその評価は?

さて、直接のストーリーラインでは3作目、「猿の惑星」全体でみると9作目になるのが、この「グレート・ウォー」です。

その歴史は1968年に始まっていますから、SF娯楽映画のファンが、この人類破滅のシナリオに、いかに酔いしれてきたかが分かるというものです。

70年代は核戦争の脅威が、そして21世紀版では、もっと進んだ科学の犯す過ちが、それぞれモチーフになっているのも時代性を感じます。

さて、そんな最新の「Planet of the Apes」は、ひょっとすると、他のSF映画よりも重いコンセプトを与えられた一本かもしれません。

「この『猿の惑星』三部作は、タイトルの事だけを考えると、『Rise(邦題では創世記)』より、『Dawn(邦題では新世紀)』が先にくるべきとも思え、それは、やや混乱を招く点ではある。そして依然として、本作『猿の惑星: 聖戦記(War for the Planet of the Apes)』も、題名が当惑させる一本だろう。この暴力や派手さがウリの映画ジャンルにありつつも、巧みに仕上げられた最終章である本作は、ただ戦闘を描くための映画だと言いきれないからだ。バトルを期待した観客の中には、本作を包む不穏な静けさや、監督のマット・リーヴスによる優雅で抑制の効いた演出を前に、やや驚かされる人も出てくることだろう。(Los Angeles Times)」

、という、映画全体のトーンに関する評価があります。

さて、最初の「猿の惑星」では、顔全面を覆う特殊メイクがそれなりに驚愕だったかと思いますが、1970年代に比べれば、猿達の姿を描く今の映像技術は異次元のレベルに進歩していて、変なウィルスと同じくらいにコワい感じすらします。

「俳優アンディ・サーキスは、ここでのシーザー役において、自身がモーションキャプチャーでの演技で卓越したレベルに居る事を、再び証明して見せた。もはや、彼の右に出る者はいないだろう。ここでCGの毛皮を身にまといつつ、彼は、とても素晴らしく微妙で力強い表現をその眼差しを通じて伝えてくる。その視線には、苦痛、哀れみ、そして堂々とした責任感が溢れ、見る者の注意を釘付けにしつつ、そこに親近感を生み出してゆくのだ。(The Seattle Times)」

映像芸術という観点で言えば、コンピュータの進歩は確実に世界を変えたと言えます。

そして、ほぼ結果が分かっているとはいえ、やはり気になるのは、人間とサル、どちらが勝つのかというポイントです。

「もちろんの事、観客は猿達の側に心を寄せるだろう。そしてリーヴス監督は、我々自身が、高慢で思いやりに欠ける愚かな種族である事に対する嫌悪感の演出に、遠慮を感じさせることもない。しかし、ここで語られるモラルの問題とは、人類は絶滅すべきであると主張するものとも言い切れない。それはむしろ、どんな場合であっても、必要ならヒューマニティを守るために戦うべきだという事、さらに、ヒューマニティというものこそ、種族の違いを超えて、個人のハートの中から生まれるべきものではないか、という問いかけなのだ。(Los Angeles Times)」

力を操る連中が支配者なのか、理性ある行動を旨とする者が統制をとるべきなのか、これは、僕達の日常生活でも、つねに湧き上がってくる疑問ではあります。

実際、言葉を喋ってはいるけど本当に知性があるのか?、と疑問に感じさせるヒトも、結構みうけられたりしますから・・・

まぁ、人類に関する辛辣な考察は、この映画のストーリーに任せておくといたしましょう。

最後に、

「情け容赦ない大佐を演じるウディ・ハレルソンは、『人間性を守るためなら、時に、人間である事すらも捨てるべきなのだ』という、象徴的なセリフを発する。そういった、人間性に対する厳しい見方は、1968年の第一作においてチャールトン・ヘストンが、崩壊した自由の女神を前に、『みんな地獄へ落ちやがれっ!』と叫んだ時から引き継がれる、このシリーズの核心部分である。本作『グレート・ウォー』は、その同じ地獄を新たに描き出してみせた一本であろう。(The Seattle Times)」

、という事で、やはり基調としては殺伐と荒れた、暗いムードを楽しむ映画になっているのが、この「猿の惑星: 聖戦記」のようです。

日本では2017年秋の公開

地球に住んでいる生き物の中で、自分の行いが災いとなって帰って来るのは、人間という存在だけです。それは、賢さ、そして、生来的な愚かさゆえの宿命。

でも、真の知性というのは、自分の愚かさを知るという事に尽きる、と、僕は個人的に思っています。その点でも、チンパンジーの進化に追いつけなくなったとしたら、、、、むむむー、人間はどうすべきなのでしょうか?

まぁ、未来は、サルにとってもヒトにとっても、ユートピアであって欲しいもんですね。

それではまたっ!

参照元
Los Angeles Times
The Seattle Times

ズレ太

Author: ズレ太

いろんな事がズレまくってるズレ太です。 でも、意外とまじめですよっ! (記事の中で引用している映画批評は、米国の電子版メディアから抽出しての大意翻訳です。)

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